東海道のなんとなくの報告 2日目

 本日は関宿からスタート。

 前日に泊まった関ロッジが旧道からそれ程離れていないので、朝ご飯をがっつり食べても朝8時半ぐらいから再開する事が出来て、大変良い感じでしたが、本日は東海道三大峠の最後である鈴鹿峠越えが有るので、関宿も早々に抜け先を急ぐ。

 関宿の次は坂下宿なんですが、宿の入り口と書いてあるところには、東海道53次の道標の記念碑のような物は有りましたが、宿場は全く残っておらず、がっかりしつつ通過。

 そして遂に今回の最大の難所である、鈴鹿峠に突入。 旧道は予想通り山道で、昔はこの峠で山賊が多く出たそうですが、地元の方の話では山賊にみせかけて要人を暗殺していたとの事だそうな。

 箱根程の難所では無かったのでお昼前に峠の頂上を通過すると、そこは忍者で有名な甲賀の里となる。 ここは日本の歴史の裏の部分を支えてきた所で有るだけに、下手な宿場町よりも心躍ったりする。 ちなみに(漢字変換でも)一般的にコウガと読んでいますが、正確にはコウカらしく案内標識などの読みもそうなっておりました。

 そんな感じで下っていましたが、峠に入ってから全く給水が出来ない状態が続き、なんとなく頭が痛い。 多分軽い熱中症である。 途中地元の人に麦茶を分けて貰ったりして、急場を凌ぐが結局、翌日まで調子は悪いままだった。

 なんとか土山宿に到着し、展示施設にてお茶を頂きつつ、お土産の染め物を見せて貰ったりする。 ここ土山宿では染め物が有名らしい。 染め物ではないが、お土産に手ぬぐいを購入。

 本日の宿泊予定である水口宿に急ぐ。 途中、夕日が綺麗だったりして、気分は上々でしたが、水口宿はシャッター街となっていて、その当時の面影は残っていたりもしますが、ちとがっかり。

 時間も遅かったので地元の人に安宿を聞いてみると、元遊郭だったという旅館を紹介され、そこに宿泊することに。 中に入ると大きな階段が正面に有る作りは、時代劇ぐらいでしか見ないのでなんとも驚きでありました。 私たち以外に客が居なかったことも有り、部屋の写真を撮ったりして寝る。

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